旧 其の弐「林文経先生のこと(下)」

中国や台湾の商店でいつも感じることじゃが、彼らは奥ゆかしさっちゅうもんが欠けとると思うんじゃよ。どこ行っても自分のとこの商品は褒めちぎるんじゃな。そして売ってないもん、他店のもんは虚仮落とすんじゃ。

これは中華思想の個人版かの。爺はどうしても、これが性に合わんのじゃよ。台北市内の某有名店に行ったときも、そこはまあ店主が凍頂烏龍茶が好きなのは判るんじゃが他の地域のお茶はボロクソなんじゃよな。

高山茶はと聞くと品質が一定しない、台北近郊のお茶はと聞くともう過去のもんとばっさりと切り捨てるんじゃよ。そして何としても凍頂烏龍茶を一番にしたいらしいんじゃよ。爺が好きな言葉に「お茶の逸品は心を洗う」っちゅうのがあるんじゃが、なかなか商売が絡むと言葉通りにはいかんのじゃな。

そこいくとな、林先生は良いお茶が出来たときも決して良いお茶が出来たとは言わんのじゃ。先ず飲んでみいとおっしゃるんじゃよ。そんで旨いとこちらが認めると、そうだろそうだろと子供のように嬉しそうに微笑むんじゃ、そうか旨いかと。根っからの茶農なんじゃな。

自分の生産物を掛け値なしで喜んでくれる人がいる、それに無上の喜びを感じるんじゃと。実は先生は台北近郊の桃園の茶農なんじゃ。でも今台湾のお茶は阿里山や梨山といった高山茶が人気を博しているんじゃな。桃園のお茶はどうかと台湾マスコミでもよく聞かれることが多いんらしいんじゃが、その時は語ることを止めて先ず飲んでみてくださいと一杯のお茶を差し出すんじゃそうだ。

どんな能書きよりも飲めば判る、その自信はさすが台湾茶農にとって最高の栄誉である”十大傑出農民”に幾度も選ばれた林先生、と爺は思うわけじゃ。

4年前には、各県を代表した超一流のお茶作り名人のみが45人集まってのう、その地の茶葉で茶作りをするという梨山での品評会でも優勝したんじゃよ。5年に一度しか行われん全国大会じゃ、品評会優勝の常連で別格扱いの茶農しか参加できんし、梨山じゃったからのう、その時のお茶は値が競りあがって競りあがって、見ていられなくなった先生は途中で止めさせたそうじゃ。それでも一斤(600グラム)日本円にして10万円は優に超えたそうじゃよ。

こんなこともあったぞ。どこの茶農の家に行っても、お茶の品評会で受賞した特等賞や頭等賞の人目を引くには十分すぎる横に大きな盾やら、表彰状が誇らしげに飾ってあるんじゃが、林先生のご自宅には全く無いんじゃな。

ある時爺がそのことに気がついて何気なく表彰状なんかはどこにあるんじゃと聞いたら、そういうのは嫌いでほったらかしてあると言うんじゃよ。

あの辺にあるっていうんで作業場の隅を探したら、本当に埃だらけで額のガラスも何枚かは割れたまんまで何十枚と積んであるんじゃよ。

さすがの爺もビックリしてな、思わず林先生を説教してしもうたぞ。先生これはまずいですぞ。ここには日本からのお客さんも沢山来られるんじゃし、日本人は権威主義なんじゃから、ちゃんと飾っておかなくちゃと、商売やる上で大切ですよと。

それに対してどうしても自分はいらんので爺がやっておる茶館でもし必要なら全部持ってけというんじゃよ。そう言われてもこれは林先生の勲章、でもここに置いといたらいつかはきっと無くなってしまうじゃろということで、先生の許可を取って全部預からせて貰って整理して爺の責任で今は大切に保管しておるんじゃよ。今茶館に飾ってある数枚の先生の表彰状はこの時のものなんじゃぞ。十大傑出農民の表彰状もあるじゃろ。

まあ、林先生っちゅうのは、こういうお人なんじゃ。

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