旧 其の伍 茶館的骨董

どういう訳か爺はの、昔から古いものが大好きなんじゃよ。
つい最近までも(まあ、 つい最近と言っても10年以上は経つがの)ボルボのPV544が愛車での、これ はアマゾンという名のボルボの一つ前世代のもんで、1950年代の車なんじゃ。 しかしのう、恥ずかしいんじゃがわしゃ実はメカには全く疎いんじゃ。

この車を手にいれたきっかけも、ある写真家の先生から無理やり押し付けられたようなもんじゃった。しぶしぶと、この車を初めて見に行って、わしゃ驚いたんじゃ。想像しておったのと大違い。ボデイがフクヨカな女性のようでな、えもいわれぬ魅力的な丸みに、思わず一目惚れしてしまったんじゃ。そう、いま走っておる四角張ったボルボとは全然違う、華やかし時代を偲ばせる丸さなんじゃよ。

まあ、一目惚れの車だけに思い出は尽きんでの。 こんなこともあったわ。梅雨の晴れ間の土曜日に、原宿の交差点の真ん中でいきなりエンコしてしまっての。にっちもさっちもいかず、大渋滞を引き起こしてしもうたんじゃ。どうしたもんかと冷や汗をぬぐっておったら、ようやくゆっくりと動きだしたんじゃ。

ほっとしたのもつかの間、しばらくすると、突然ボンネットから白い煙がもうもうと凄い勢いで上がってきたんじゃ。わしゃ、そりゃもうたまげてしもうたが、それ以上に周りの野次馬たちは、爆発するんじゃないかと思ったようでの、蜘蛛の子散らす勢いで一目散に逃げおった。わしも腰が抜ける前になんとか、ほうほうの体で逃げおおせたんじゃ。

あの時は、ほんとに天国の扉が目の前に見えたが、オマワリさんにも随分と迷惑をおかけしたわい。ほんと、手間もかかる車じゃったわ。でもの、今じゃ本当に譲ってくれた写真家の先生に感謝しておるんじゃ。見知らぬ人と車を通して昔ばなしに花が咲いたこともあったしな、いろんな思い出を爺に残してくれたんじゃ。古いもんは、思いがけない出来事や、素晴らしい出会いをたくさんもたらしてくれる魔法使いじゃの。

そうじゃそうじゃ、茶館の骨董家具の話しだったの。爺は、銀座の古美術商:日下尚雅堂(クサカ ショウガドウ)さんと三十年来のお付き合いがあっての。だいぶ前に、興味がでてきた中国骨董家具の話しをしたらえらく面白がってくれての、実に色々調べてくれたんじゃ。

先ずの、家具の値段の高さを聞いてビックリじゃよ。明の時代の黒檀ものになると、サザビーズとやらのオークションじゃ、何千万なんちゅうものがあるんじゃよ。

でもの、尚雅堂さんは「これからは清朝のもんが面白い」と云うんじゃよ。

明と清じゃ、まだまだずいぶんと値段が違うて、清朝のもんは、比較的多く出回っておるんじゃと。でもの、清の品を買うんなら”完品”を買わなきゃいかんのじゃと。

今の技術はすごくての、家具の一部、特に彫りのある部分なんかが壊れておるじゃろ、そうするとその部分だけ作り直してしもうて、全く素人には解らんように修復をしてしまうんじゃよ。でもの、将来の価値として考えると、”完品”と修復もんでは天と地ほどの差が出るらしいんじゃ。しかし、”完品”というのは実に数が少ないんじゃと。

での、どうやったら”完品”を買えるのかというと、そりゃもう、直接、中国本土の家具工場に行っての、全国から入ってくる加工前の家具の状態を見て選ぶしかないんじゃと。確かにそれなら素人でも解りやすいの。

それで、尚雅堂さんと何度も中国の家具工場まで通っての、選んできたのが今、茶館に置いてある家具なんじゃ。いい味をだしておるじゃろ。爺はこれでも良いものを買うには、けっこう苦労しておるんじゃよ。うんうん。

千年茶館の大看板の時は、ほんとに面白かったぞ。家具工場の隅に置いてあった、重そうなでっかい看板を見つけての、こんなんで「千年茶館」なんていうのがあったら面白いんじゃがの・・・

と話したらの、工場のもんは二つ返事で”ある”と言うんじゃよ。いや、そうじゃないのう、これをそうすれば良いと言うんじゃ。

爺は言っている意味がようわからんようになって、詳しく聞いたら、さすが中国じゃの、不可能は無いんじゃ。

この看板に彫られている屋号を埋めての、新たに「千年茶館」と彫るんじゃと。おおっ、そんなことができるんならと、当時の彫りとか年号をなるべく残しての、新たに千年茶館と彫ってもらったんじゃ。

どうじゃ、茶館の大看板は見てもらえたかのう、深みが違うじゃろ。

150年前に中国のとある町に飾られておったもんが、時代の空気を携え遠く日本に渡り、昔と同じように人を呼び込む店先に置かれておるなんて、考えるだけでも素敵じゃろ。もうおわかりじゃろうが、爺はこうみえてもかなりのロマンチストなんじゃよ。

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