旧 其の七 爺的茶藝考

茶館がテレビに出るからということで、眠い眼をこすりながら何とか起きて見てみたがすっかり目を覚ましてしまったわな。

正しい中国茶の飲み方(中国茶芸)といった内容なんじゃが、ちょっと首をかしげてしまったんじゃよ。カップルで茶館を訪れそこで色々学ぶという構成なんじゃが、ちょっと知ったつもりの女性が男性のミス(これも爺には何が悪いのかよく判らんのじゃ)に怒っての、露骨に嫌な顔をしたり、最後には怒って店を出て行ってしまうんじゃよ。知らないもんには優しく教えてあげれば良い、ただそれだけのことなんじゃがの。

「お茶の逸品は心を洗う」

爺の一番好きな言葉じゃ。こんな心の狭い女性がもしいたら、哀しいのう。
(こっちからお付き合いは願い下げじゃ。)

でも・・・まあしょうがないところもあるんじゃぞ。何しろ日本のお方は決まりごとがお好きなんじゃ。 爺が若い頃カルチャーセンターとかの走りのお茶学校で中国茶の講師をしておったときもな、紅茶や日本茶の授業も一緒にあったせいか、お茶は何グラムいれるんじゃとか、お湯は何秒入れるんじゃとか、砂時計まで持ってきてそんな秒単位のつまらん質問ばかりするんじゃよ。

まあ、中国の方と日本の方では、良く言うんじゃが、道(どう)の捉え方が全然違うんじゃな。日本人の道には必ず律が伴い、律が厳しいほど高いところに到達するという美学があるからの。

正直言うと爺はの、茶館スタッフに怒られてしまうんであまり大きい声じゃ言えんが、中国茶の醍醐味っちゅうのは、実はいい加減(良い加減)さにあると思っておるんじゃよ。適当な分量を茶壺に入れるじゃろ。そして一煎目を淹れ、飲んでみて薄いと感じたら 二煎目を濃く淹れる、それがコツなんじゃな。

だっての、秒単位やコンマ何グラムのマニュアル通りにしたら、それが気になってお茶本来の楽しみが希薄になってしもうてつまらんじゃろ。お人にはそれぞれ好みがあるように、お茶葉だってみんな違うしの。商売人の間ではの、美味しいお茶の淹れ方として一煎目と二煎目を混ぜることもあるんじゃよ。

普通は一煎目は香りが良くての、二煎目は味が良くなるじゃろ。それが混ざり合うとちょうどバランスの良いお茶となるからなんじゃよ。だからのあまり言いたくは無いんじゃが、お茶の淹れ方一つで売りたいお茶を美味しく感じさせるなんていうのはの、商売人にとってはいとも簡単なことなんじゃよ。

さてお話しは戻るが、機会があったらの中国でも古くからある茶館に行ってみなされ。皆な自由気ままにお茶を楽しんでいる風景がそこにはあるぞ。 みんな思い思いにお茶と時間を楽しんでおるんじゃよ。難しいルールを口にするもんなんて誰(だーれ)もおらんぞ。難しいルールを口にするのは、みんな新しく出来た北京や上海のいわゆる観光茶館ばかりじゃわ。

実は今わの、台湾の影響もあって中国でも茶藝ブームなんじゃ。 どの茶館も茶店もこの間に、日本のような茶道の世界を 築こうと思っておるらしいんじゃよ。でもの元来中国人は決められた通りが好きじゃないお人たちじゃ、交通ルールひとつ見ても判るじゃろ。なかなかまとまらんのじゃよ。

例えば、聞香杯と茶杯の置き方一つでもお店によって全く逆なんじゃぞ。聞香杯を飲み手から見て右に置く店では、その方が最初の聞香杯が取りやすいと言い、左に置く店では多く使う茶杯が取りやすい方が良いと言うんじゃよ。お互いに譲らないんじゃよ、面白いもんじゃろ。そして両方とも正しいじゃろ。

そんな時爺は、ハイハイと言って優しくその場は笑みを浮かべるんじゃよ。テレビでもいろいろな決め事をお話ししていたの。でも一体どなたが決めたんじゃろな。爺はそんな時、いつもこう思うんじゃよ。日本人はよく中国ではこうだったとか、ああだったとか言うじゃろ。 でもの中国はでっかいんじゃよ。それもあまりにもな。狭い日本の中でも大阪と東京でエスカレーターの乗り方が違うじゃろ。広大な中国じゃからの、いろいろな違いがあって当たり前なのかもしれんとな。

中華街で大成功した叔母が話していた

「戦後夫と眠る時間も惜しんで働いていた合い間に飲んだ、 多分とても安かったお茶も、豊かになった今飲む最高級の茶も同じように心を休めてくれる」

これこそがお茶の持つ力だと、爺は思うんじゃ。
今お茶ブームにのって、色々なお茶の飲み方や新しいお茶と接することがあると思うんじゃが、決してそれにおぼれることはなく、一つの参考として心に留めて置けば良いと思うんじゃ。そして、自分なりの楽しみ方をそれぞれが見つけてほしいぞ。

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