旧 其の参 茶壺のお話し

1999年、爺が中国宣興に行った時の話してさしあげよう。
爺は茶壺も好きなんじゃが人物像も好きなんじゃよ。以前、上海の宣興展で愚者という題の置物に出会った瞬間、何か感動しちゃってな、存在感がすごいんじゃよ存在感がな。羅小平っていう作家なんじゃ。

しばらく忘れていたんじゃが、再び上海を訪れたときに知り合いがどこか行きたい所があるかと聞くもんで宣興に行って羅小平に会いたいと言ったところ明日行こうということになったんだわ。朝9時ごろかな、あんまり豊かな友人でないいんでバスで行ったんじゃが、こりゃ凄いぞ。上海の街の中は静かだったんじゃが(上海市内はクラクション禁止なんじゃ)、街を出た途端終点までクラクション鳴らしっぱなし。これが悪名高き高速バスだったんじゃの。

バスの中でビデオ流してんだけど聞こえやせん。何しろ日本じゃ考えられんほど飛ばすんじゃ。ぶっ飛ばすんじゃよ。バスが乗用車追い越す追い越す。爺たちは間違って一番前に座ってしもうたから生きた心地がせんのや。約3時間程かな疲れきって宣興に着いたんじゃよ。

ところが、中国人はやはりすごいな。爺はてっきりもう羅小平先生と連絡を取って、当然住所くらい調べておると思っておったんじゃが全然違うんじゃ。バスの停車場でタクシーつかまえて、羅小平先生のことを説明してそこに連れて行けと言っとるんじゃよ。

いわゆるアポ無し前情報無しじゃよ。宣興は人口100万あまりの結構でかい街じゃ、でも驚いたことにタクシーは走り出すんじゃな、ちゃんと。そうだ思い出したわ、中国人は絶対に判らんとは言わないんじゃったな。

宣興の陶器研究所に先ず行き聞き、そこから何軒か聞きながら小1時間で先生のご自宅兼竈に確かに着いてしまったんじゃ。そして偶然にも先生はちゃんとご在宅だったんじゃ。何とかはなるもんじゃな。

突然の訪問にも先生の作品に感銘して王者という作品を買わせてもらったことや、一度お会いしたくてはるばる日本から来たんじゃと話したところ、えろお喜んでくれてな昼飯までご馳走になったんじゃよ。また、嫁さんが可愛くてな。全く芸術家は隅には置けんな。

ところでそこで出会ったのが茶館に置いてある大急須なんじゃよ。作業場の隅に置いてあった大急須だったんじゃが、存在感あるじゃろ。これはいつか茶館の顔になるなと爺は閃いてな、売りもんかいと、思わず尋ねたんじゃな。

そしたら半年後にニューヨークで作品展をするので、これは売れん。折角来てもらったのに、今ここには売り物は無いと言われてな、ガッカリじゃよ。

日本人が考えているよりも今、中国の芸術家はかなり豊かなんじゃな。特に宣興物は中国全土の茶芸人気と金持ち階級の投資品として、第一級作家の物はとんでもない価格がついとるんじゃよ。現存する作家物で、急須一個が何十万っていうのがざらにあるんじゃぞ。

中国に行けば安く買えるっちゅうのは安物でな、本当に良いもんは日本より高いんじゃな。中国人の金持ちはな半端じゃねえぞ。名前のある作家もんは買いあさるんじゃよ。日本のバブルの時と同じじゃな。困ったもんじゃ。

まあ、そんなんで諦めて宣興の他の先生の工場を何軒か巡って宣興を後にしたんじゃ。帰りは流石に高速バスは勘弁してもらっての、タクシーでムシャクまで行って、そこから汽車で上海まで帰ってきたんじゃが、これも参ったぞ。汽車の中が冷蔵庫なんじゃ。クーラーガンガンじゃよ。中国は何でも過激なんじゃな、全く。

ところが日本に帰ってしばらくしてな、そろそろ宣興のことも忘れかけた頃羅小平先生からメールがいきなり入ってきたんじゃ。何かと思ったら、先生はこれから自分のホームページを作るのでソニーの最新のバイオが欲しい、でも中国では最新の物が手に入りずらい、そこで爺が日本から来たことを思い出して作品とバイオを取っ替えないかと言ってきたんじゃよ。

爺はチャンスと思ってな、いかにも知らん振りで判ったと、でもサービスで小さい急須2・3個付けてくれるとありがたいと言ったところ、敵もさるものじゃ、自分の急須は最低でも一個1000米ドルはするが一個だけ付けようということになり商談が成立したんじゃよ。

日本にソニーがあって良かった良かったじゃな。爺の物々交換で手に入れた思い出の大急須のお話でした。
(爺は大分見栄を張ってます。爺は本当はメールは出来ません。やり取りはすべて秘書がしました。)

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