其の壱 銀座への想い

千年茶館が銀座に移転すると聞いて爺は感慨深くての
実は爺の親爺殿は銀座6丁目で1960年代喫茶店をやっていたんじゃ
この茶館の場所を見たとき これは親爺殿が呼んでいると 思わず震えがきてしもうたわ

爺の記憶ではいろいろな週刊誌で取り上げられた話題の店での ミス何々がウエディングドレス姿で深々とした絨毯に膝まづいて一杯500円の珈琲をだしてくれるという いわゆる高級美人喫茶じゃの
当時の親爺殿の写真が出てきたんじゃが来日したミス・コスタリカとミス・カリフォルニアに囲まれた満面笑みの親爺殿の姿には爺もまだまだじゃのと思い知らされたわ 親爺殿には遠く及ばんとな 勝てんとな
だからの爺は銀座に行くことが多くての 爺にとって銀座はまさに青春時代そのものなんじゃよ


1960年代の銀座は日本の高度成長時代の真っただ中での(1969年GNP世界第弐位まで駆け上がる)全てが光り輝いておって流行の最先端を突っ走っておったんじゃ
1961年には石原裕次郎・牧村旬子の永遠のデュエット曲「銀座の恋の物語」が発売され 翌年には日活映画で裕次郎・浅丘ルリ子のコンビが大ヒットし正に日本人の憧れの街になったんじゃよ(2016年春から東京メトロ日比谷線銀座駅の発車メロデイに決定)
ご承知のように1964年は東京オリンピックの年じゃったろ 世界中から外人さんが沢山集まっての 実にお洒落でかっこ良く見えたもんじゃよ 爺も少しでも外人さんに近づこうとファッションというものに目覚めたのもこの頃かの でも日本人も負けて無かったんじゃぞ 「みゆき族」という輩が誕生しての銀座のみゆき通りや並木通りに若者たちが皆同じ格好で大集合しての
いわゆるアイビールックというやつじゃ
男子はバミューダショーツにボタンダウンのシャツ 女子はぺったんこの靴で白いブラウスにロングのタイトスカートで後ろに大きなリボンベルトを結んで頭にはスカーフやネッカチーフを巻いていたんじゃ 昔のことは良く覚えておるんじゃ 可愛かったの  でもあまりに増えすぎてしまい社会問題にまでなってしまいオリンピック前に取り締まられあっという間に消滅してしまったがの
東京モーターショーは当時は晴海の東京国際見本市会場で毎年秋に行われておったんじゃが大活況での毎回150万人もが狭い会場に殺到しておしくら饅頭状態じゃよ その影響で銀座まで大混雑大渋滞じゃった
1967年にはツィッギーという日本中にミニスカートを大流行させた男子にとっては神様のようなモデルさんが来日しての 東京モーターショーではトヨタブースでゴールド塗装されたトヨタ2000GTのモデルを務めての日本中の目が注がれたんじゃ 車があこがれじゃったんじゃの いい時代じゃろ
1964年に平凡パンチが 1966年には週刊プレイボーイが創刊され水着姿の写真に男子は大興奮じゃ
1966年にはビートルズ来日の年には銀座のシンボル的なソニービルや三愛ビル・資生堂ザギンザビルが次々と竣工されたんじゃ
1971年には銀座三越壱階にマクドナルド壱号店が開店されての 爺も一時間並んで本場のハンバーガーなるものを食べたんじゃ 当時の価格はハンバーガー80円ビックマック200円じゃったかのう 爺たちは見栄を張ってビックマックを頬張りながら銀座通りを闊歩したのが昨日のようによみがえるわの
1960年代は銀座がまさしく輝いておった時代じゃの

2020年オリンピックが56年ぶりに東京に戻って来るんじゃよな 素晴らしいこっちゃの
最近の銀座は円安とかの影響でお陰様で外国人観光客が激増して三越デパートのエスカレーターがバブル期以来の大混雑等見た目にはかつての活況を取り戻しているかのように見えるんじゃが かつてのように銀座が日本人の憧れの地かはクエッションじゃよな 当たり前のことじゃが日本人が心から行きたいと思う地にしなくてはいかんのじゃよ

オリンピックを決めた OMOTENASHI 日本人の素晴らしい感性じゃよ 是非実践して世界に広めたいもんじゃ
爺たち立ち上げている「千年社中」は「千年思考」という理想を掲げておるんじゃ
「1000年先(遠い未来)を考えて今を生きるべき しかし未来のことは誰も判らない 1000年先を考えて生きるということは未来の子供たちに恥じないように今をしっかり生きること」とな

その昔 茶館は庶民の社交の場所で多くの文士や知識人が集まり茶を飲みながら時間を忘れて社会を語り藝術文化を語りあったんじゃと
千年茶館も歴史を重ねながら是非そんな茶館に育ってくれたらなと願っておるんじゃ みなさまもお力添えよろしくお頼みますぞ

オリンピック東京開催が決まって爺にも大きな目標が出来たんじゃ 東京オリンピックをもう一度この目で見ようとな なんかそう思うと元気が出てきての 実は2008年8月8日午後8時北京オリンピック開会式を現地の会場で迎えるという目標が達成された後人生に思い残すことがなくなってしまっての そんなんで閑話も長くお休みしておったんじゃが

そしてもう一つの目標はオリンピックの期間中には孫たちにも頼んで茶館を外国からのお客様に無料で開放して銀ブラした後での休憩場として そして情報交換の場としてご利用いただこうとな
やはり人生いくつになっても目標を持たんとな

親爺殿は半世紀以上前に同じ銀座6丁目で流行の最先端の喫茶店を目指していたが 爺は最先端とは真逆の古き佳き日本人のオモテナシの心 侘び寂びを感じる心 を大切にした 旨い茶を飲みながら日本のそして亜細亜の伝統文化を語り合える そんな場に千年茶館がなってくれれば嬉しいんじゃよ 同じ土俵では親爺殿には勝てんでの

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